城山事件 [国鉄 コンビニ]

famimat
1975年(昭和50)前後のことだったと思いますが、JRがまだ国鉄であった頃表記のような呼び方をされて話題になった事件がありました。作家城山三郎氏が国鉄の窓口で受けた屈辱的な接遇を、「目に余る荒廃」と題しエッセイとして新聞に書きました。
当時私もその文章を読み

「国鉄の社員は悪いだなー」

と思いました。

私はその頃私鉄を毎日利用していて国鉄には親しみがありませんでした。
その後新聞には国鉄の内部調査で問題の職員が突き止められ左遷されたという記事が出ました。調査の際に、その管区でそんなひどい対応をするのはあいつに違いないという声が出て、結果そいつであった。常日頃から悪い奴であった。作家と知らずにいつものように接遇したので失敗したのであった。それまでに連日何千人何万人という客に対してしてきたのであった。ようやく一人の作家が彼の前に現れて没落した。当然自浄作用はなかった。

しかし作家とてすぐ文章にしたのではなかった。エッセイの冒頭に

「あれからいくらかの時間が流れたがどうしても我慢を押さえることができずそれどころか高まる一方だ」

という意味の文言があったので、彼も泣き寝入りをしようと思ったがそれができないほどの怒りと義憤であった。そうして何万人の怒りは一人の職員の人目につかない部署への異動と相殺された。さらに1987年(昭和62)国鉄も解体して民営化された。問題の者の消息は知れない。今では墓の下であろうか。

コンビニの表を眺めていてこの事件を思い出した。トミー・リー・ジョーンズは城山三郎と似ていなくもありません。



粗にして野だが卑ではない―石田礼助の生涯 (文春文庫)


タグ:国鉄
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私には夢がある。いつかゴルゴダの丘の上で老いも若きも美しい者も醜い者も分け隔てなく交際し交わり合っているという夢が。夢は夢のまま果てるのであろうか。

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